piątek, 17 grudnia 2010

ジョサイア・コンデル - 日本の建築の父


「日本の建の父」はイギリスの建築家のジョサイア・コンデル(Josiah Conder 1852-1920)です。彼は洋式の建築を日本に紹介しました。1877年に日本政府から招聘をけて、工部大学校の建築教師になりました。工部大学校とは日本初の工学の高等教育機関でした。その大学校の目的は日本人の技術家を育てることでした。

工部大学校で教授するの他に、彼は色々な洋式の建物を建設しました。彼の主な作品の中で鹿鳴館・東京帝室博物館本館・岩崎本邸・三菱一号館・旧海軍省本館旧古河ニコライ堂・綱町三井倶楽などがあります。多くの建物は火事と地震で焼失てしまいましたが,今まで残っている建物もあります。Conder の生徒の中で有名な日本の建築家、たとえば辰野金吾(たつの・きんご)山東熊(かたやま・とうくま)いました。

彼は日本文化に興味をもって河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)という画家について学んで、遂に彼の生徒になりました。Conder はも生花と日本の園芸について本を書きました: The Flowers of Japan And The Art of Floral Arrangement」と Landscape Gardening in Japan」。

彼は死ぬまで日本に住んでいました。1920年に東京で亡くなって、東京の護国寺の墓地で墓があります。

皆さんはConderさんの建物を知っていますか?

                      鹿鳴館












           

三菱一号館(東京)  





































                       綱町三井倶楽部 (東京)

















出典:
梅溪 昇著、「お雇い外国人。明治時代の脇役たち」、講談社、東京、2007

写真の出典:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Rokumeikan.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Josiah-Conder-Portrait-1.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Mitsubishi_Ichigokan_Museum.JPG

http://www.tsunamachimitsuiclub.co.jp

2 komentarze:

  1. やっぱり建築の世界にもイギリスの影響が一番強かったね!
    鉄道の件もそうだったけど・・・。なぜイギリス、なぜほかのヨーロッパの国ではなかったのかな?

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  2. お雇い外国人のグループの中でイギリス人は約60%を占めていました。この状況の理由は、イギリスは産業革命のリーダーでした。日本人は最もいい専門家を誘いたかったと思います。
    他のヨーロッパの国の人は技術以外の分野に雇われていました。たとえば、アメリカ人とドイツ人は文部省に雇われていて、フランス人は陸軍省に働いていました。

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